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"嘘じゃない、夢じゃない、ある日のあなたの笑顔は
でも私の嘘かも知れない、でも私の夢かも知れないそれが私の方に向けられていたというのは
けれど嘘にはならない、夢にはならない、あなたが私の名前を呼んでくれた日には。
嘘だったことはない、夢だったことはない、私は、あなたがとても、好きです。"



あらすじ
 西暦1997年、東洋の全体主義国家、大東亜共和国。この国では毎年、全国の中学3年生を対象に任意の50クラスを選び、国防上必要な戦闘シュミレーションと称する殺人ゲーム“プログラム”を行っていた。ゲームはクラスごとに実施、生徒たちは与えられた武器で違いに殺し合い、最後に残った一人だけは家に帰ることができる。
 香川県城岩町立城岩中学校3年B組の七原秋也ら生徒42人は、夜のうちに修学旅行中のバスごと政府に拉致され、高松市沖の小さな島に連行された。催眠ガスによる眠りから覚めた秋也たちに、坂持金発と名乗る政府の役人が、“プログラム”の開始を告げる。
 ゲームの中に投げ込まれた少年、少女たちは、さまざまに行動する。殺す者、殺せない者、自殺をはかる者、狂う者。仲間をつくる者、孤独になる者。信じることができない者、なお信じようとする者。愛する気持ちと不信の交錯、そして流血……。
 ギリギリの状況における少年、少女たちの絶望的な青春を描いた問答無用、凶悪無比のデッド&ポップなデスゲーム小説!

感想
 この小説を超える本には二度と出逢わない。

 若干15才でそう思った。
 あれから10年以上経った今もそれは変わらない。そしてこれからも変わることはないだろう。

 きっかけはTSUTAYAマガジンに最新映画情報として紹介されていた本書の映画。ストーリーを知り、原作があると知り、興味を惹いた。ただ、当時の僕のおこずかいでは1,480円は高価だったので、図書館で借りることにした。
 図書館から借りて家に帰ってきたのは夕方だったと思う。時間を忘れて本を読んだ経験は後にも先にもこれだけだろうな。ふと時計を見ると3時半だった。次の日も学校だった為、仕方なく寝ることにする。
 登校してからチャイムが鳴るまで30分くらい時間がある。周囲を気にせず読みふけった。情報通の友達なんかはこの本の存在を知っていた。
 英語の授業中も隠れて読んだ。昼休み中に読み終えた。打ちのめされたような気分になった。
 そこからクラスで大流行した。面白いと思ったのは僕だけじゃないようだ。15才という年齢のクソガキの心を鷲掴みにするだけの内容なんだ。

 角川ホラー小説大賞を決める最終選考に残りながら審査員から罵倒批判の嵐を受け、林真理子からは「こう言う事を考える作者が嫌い」とまで言われる始末を受けた本書。しかし、そこを「完全自殺マニュアル」などを排出した某出版社によってめでたく世に送り出されることになった。
 しかし、騒動はそこで収まらず、今度は映画化にあたって残虐シーンが多い、内容が過激過ぎる、との理由で国会議員が映画を観覧するまでに。結局、R指定による上映が決まって落ち着いたわけで、国会まで巻き込んだ騒動はそれだけ多くの話題を振りまき、それが宣伝となり、社会現象とまでなった。

 これは設定の勝利だと思う。
 「中学生がクラスメイトと殺し合いをする」
 これだ。この言葉で形容出来ないほど酷い設定が究極の娯楽でしかない。こんなはち切れんばかりに中身が詰まっていそうな設定は他にないだろ。

 中学3年という年齢。大人であれば自分に言い訳を幾らでも用意出来るため普通の殺し合いになるだろう。小学生であれば人を殺す動作そのものが恐怖であるため殺し合いは起き難い。だから中学3年生という中途半端な年齢こそ、物語が生きる。
 そしてこれを普通の残虐なホラーとして片付けないところ良かった。設定は悲惨であるけれどもテーマは「この悲惨な状況において自分はどう生きるか」という非常に前向きなものとなっている。

 42人を大きく分けると以下のような者たちになる。
 ゲームから脱出を図ろうとする者、ゲームのルールを逆手に取ろうとする者、仲間を集めて解決策を出そうとする者、自らゲームを放棄し身を投げ出す者、恐怖でただ身を震わせて隠れる者、恐怖から自我が崩壊する者、そしてゲームに乗る者。

 3年B組の42人がこの理不尽な状況をどう打破するか必死に考え、その生き様こそがこの話の魅力。大人的な見方をすれば「クラスメイトと殺し合い」という上っ面だけしか目につかない。そういうものだと思う。25才を超えた年齢で僕が本書と出逢っていたら面白いと思ったかどうかはわからない。もしかしたら「面白いと思う人は異常」と大人的な感想を言っていたのかもしれない。
 でももう遅いよ。ごめんね。15才というどんなものにも刺激を受けやすい年齢で出逢ってしまったんだから。もうNo.1は揺るがない。思い出補正とかじゃない。心を持っていかれている。今再読しても面白いんだから。

 本書の最大の魅力は「自分も同じ状況になればどうするか」と考えさせられるところ。ついこないだまで机を並べて授業を受けていたクラスメイトと殺し合いをしなければいけない。ゲーム中、誰かと鉢合わせたらどうすべきか、相手は自分を殺そうとしているのか、やはり自分も殺さないといけないのか。
 主人公の七原秋也はまさに読者の代弁者。この理不尽な状況を上手く飲み込めない者として扱われている。それでも秋也は幼馴染で親友だった国信が好きだった中川典子を守ると意思を固める。
 他のメイン人物たちも極限状態であるにも関わらず自分の立ち位置を見失わず明確にしていたことが非常に良かった。自分はこの状況でどう生きるかを自問自答する。例え死んでしまってもその死に様は決してかっこ悪いものではなかった。

 ただメイン人物の中で1人、強烈な印象を残した桐山和雄だけは明確ではなかった。何故なら彼の答えは「わからない」だから。喜怒哀楽が欠落しているといえ、コイントスで表が出た場合「政府と戦う」という選択肢があった以上、桐山自身もこのゲームが理不尽なものと多少なりとは認識していたにも関わらず。
 意思を持たずしてその判断をコインに委ねた悲劇があるからこその本書ではあるが、やはり判断を運で決めてはいけない。

 「自分の立ち位置を明確にする」、「自分で意思決定をする」この2点は現代でも同じことが言えるのではないだろうか。ただ世間の流れに身を任せているだけでは駄目だと。これが著者の意図した訴えかどうかは定かではないが、本書のメッセージだと思った。

 一番好きな生徒は杉村弘樹かな。戦闘シーンも多い上に何より好きな女の子をひたすら捜したわけだから。やはり「愛」なんですよ。自分が「死」を受け入れ、相手に「生」を願ったならそれが「愛」なんだと思う。
 理屈でなんでも解決しようとするのは自分の悪い癖だね。誰かを「愛する」状態になるのは直感であって理屈ではないと思う。
 でも、誰かに対して自分がその人にどういう感情を持っているかどうかの確認方法として使えると思っている。
 その人とバトルロワイアルのプログラム上で【残り2人】の状況になったことを想像して欲しい。迷いなく自分が「死」を受け入れ、相手に「生」を願ったならその人は愛する人と呼んでいいのではないだろうか?
 大人の皆さんいかがでしょう。

★★★★★(5点)



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